マインドファック映画欄

主にサスペンスやマインドファック系の洋画の紹介、たまに雑記を少々

『ククーシュカ』 ~ある意味究極の英会話教材~

ククーシュカ ラップランドの妖精 [DVD]

ことばを捨てて 愛し合おう

ククーシュカ ラップランドの妖精

2002年公開

監督 アレクサンドル・ロゴシュキン

脚本 アレクサンドル・ロゴシュキン

出演 アンニ=クリスティーナ・ユーソ
   ヴィッレ・ハーパサロ
   ヴィクトル・ブィチコフ

ストーリー
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1944年9月、第二次大戦末期。フィンランドラップランド
反戦の意思を見せたため、仲間にドイツ軍の服を着せられ戦地に置き去りにされたフィンランド軍兵、ヴェイッコは、途方に暮れながら道を歩いていた。
同じ頃、味方の誤射で重症を追ったイワンは通りかかったサーミ人の女性アンニに保護される。そしてヨタヨタと足取り重く進んでいたヴェイッコもまた、アンニの家にたどり着いていた。
二人は暫くの間ここで世話になることにしたが、一つ問題があった。
誰一人として互いの言葉がわからなかったのだ──。
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偶然集まった互いの言語を知らない3人のある意味奇跡的な共同生活を描いた、ヒューマンドラマ。

海外に行って言葉が通じない困った、という経験談はいくらでもあるでしょう。それで身振り手振りで必死に意思疎通を図ろうとしたら、全く違う意味で捉えられてしまった、なんてのもよくある話でしょう。そして本作は100分間の尺をそんな状況のみで構成したという、世にも珍しいアンチランゲージドラマになっています。

アンチランゲージといっても、上映中ずっと人物がパントマイムのようにジェスチャーだけで会話を試みるというものではありません。彼らは皆、愛する自国の母国語で容赦無くしゃべりだします。たとえそれが相手に全く伝わらなくとも。それぞれが相手の言い分もわからないままに、好き放題互いに言い合う様は、「言語の壁なんかクソくらえ」と言わんがばかりの勢いすら感じます。

当然相手の喋る言葉がわからないので、それぞれ相手のしぐさで大体の事を把握するのですが、これが滑稽なほどの間違いだらけで笑いすら誘います。ドイツ兵の服を着せられていたせいでドイツ軍人と勘違いされたりなんてのは序の口で、一方が「いつになったら帰れるだろう」とシリアスな話を持ちかけても、もう一方が当然のように「そうだ、あの女はお前に気がある」と全く的はずれな恋愛話で返答したりと、コミュニケーションのコの字すら感じられない、やり取りというのもおこがましい「会話モドキ」を進展させていきます。

しかし不思議なことに、彼ら3人はこんな日々の挨拶すらロクに通じない異状空間にいながらもしっかりと、共同生活を成していきます。まるで動物の多くが生活に会話を必要としないように、人類も大体の意味が通じるレベルの発声ができれば、それで十分やっていけるとすら感じるほどにです。

当然人種も違い、時代も時代ですから、言葉が通じないとなると様々な疑念が生まれます。それを互いに言葉を使わず「心の交流」で解決していく様子は感動すら覚えます。

そういえば聖書でも人間はバベルの塔を建てようとしたために、互いの言語をバラバラにされ、意思疎通の手段を奪われ、建築を断念したとありましたが、もしこれが本作のように言葉という概念に縛られず、「心」で交流を図る事を意識できたならば、きっと違う結果になっていたでしょう。

同じように海外で会話が通じなくて困ったときは本作を思い出して、日本語でも何でもとりあえずしゃべってみるのもいいかもしれませんね。

そんな意味ではグローバルコミュニケーションに対する心構えとして役立つ作品と言えます。

 

TSUTAYA




マインドファック『ストーカー』

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見慣れた顔ほど 危険なものはない

ストーカー

2002年公開

監督 マーク・ロマネク

脚本 マーク・ロマネク

出演 ロビン・ウィリアムズ
   コニー・ニールセン
   マイケル・ヴァルタン

ストーリー
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11年以上スーパーのフィルムの現像の仕事を務めてきたサイ・パリッシュには、密かな楽しみがあった。
彼は顧客の持ってきたフィルムを余分に現像し、それを家に飾り感傷に浸るという寂しき趣味があった。
そんな彼のお気に入りはお得意様のアットホームを絵に描いたようなヨーキン一家の写真であった。
彼らの幸せそうな写真を見つめる内にサイはそこに自己を投影するようになっていたのだ。
そんなある日、ヨーク家の異変をとある写真で察し始めた彼は遂に一線を越え始める──。
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善意の塊のような写真屋の男が「個人情報」に触れ続けたために「善意のストーカー」になる過程を描いたサスペンス作品。

「個人情報」といえば電話番号やクレジットカード等を連想しますが、本作では、最も身近で自分の人物像が浮き彫りになる「個人情報」は「写真」であり、その「写真」を取り扱う「写真屋」は最も人のプライバシーに触れることのできる職業であると主張します。

そんな職の盲点の中、寂しき人生を送る写真屋のサイは、仲睦まじいヨーキン一家の写真を現像していく内に、自分にないものを一家に見出し、傾倒、そして一線を越えていくわけですが、この流れが実に自然なのが驚く所。

犯罪の中には、「相手のことを思ってやった」という歪んだ「善意」を持って行われるものもあると聞きます。この写真屋のサイ・パリッシュもそのケースなのですが、本作はそのサイの目線で物語が進むので、サイが凶事を起こすまでの「善意」が明確に描写されています

例えば店内でばったりあったヨーキン家の長男ジェイクくんが、欲しがっているロボットのフィギュアすら父親から買ってもらえない状況を見て、家庭の不和を察したサイは、ジェイクくんの相談に乗ろうと彼を尾行します。結果機嫌取りにプレゼントをあげようとしたりしても避けられ気味になったりと、良い結果が生まれず、落ち込んでしまいます。

はたから見れば、赤の他人が勝手にストーキングした挙句に接触を試みたという犯罪記録にしか見えませんが、これをサイ当人の目線で演出しているので、如何に気心を不意にされた物悲しく同情を誘う話しであるかが強調され、主観フィルターの恐ろしさを垣間見ることができます。しかもこれが全て写真の盗み見から始まっていることという異常性もオマケにつけて。

しかし、劇中サイが度々語る、写真があるということは愛されている証などの「写真論」は写真の存在意義を非常によく要約しており、このウンチクを聞くだけで、そんな重要な記録に触れ続ければ、情の一つや二つ入ってしまっても無理もない、と思えてしまう説得力のあるもので、おかしいと分かっていても、サイへの感情移入を助長していきます

16世紀から現在に至るまで何故人間が写真を好むのか、よくも悪くもその理由が明確に描かれた作品といえるでしょう。

 

ちなみに上記したジェイクくんが欲しがっていたロボットはまさかの「エヴァンゲリオン」、しかも「量産機」。

ジェイクくん曰く「白い翼で空を飛び、銀の剣で悪いやつらをやっつける」とのことらしいのですが、実際原作でやっていたことといえば、「白い翼で空を飛び、銀の剣(?)でメッタ刺しにした挙句、ハゲタカのように寄って集って内蔵を貪り食う」という誤差とかいうレベルでは済まされないほどにかけ離れた真似をしていました。

それでも本作ではこれがヨーキン家の象徴としてか、度々姿を表すのですが、元が元だけに狂気のメタファーにしか見えないのはご愛嬌

しかし、唐突に『エヴァンゲリオン』がでてくるとは…、スタッフにエヴァ好きでもいたのでしょうか…と思って調べてみたら犯人はロビン・ウィリアムズでした。

ジブリ見て悦に浸ってそうな顔してるのに、隅に置けませんねぇホント。

 

 

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畜生から子供のヒーローに大出世

 

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 ジブリ見て税に浸ってそうな顔のロビン・ウィリアムズ

 

TSUTAYA

マインドファック『オーロラの彼方へ』

オーロラの彼方へ [DVD]

もう一度 逢いたい 話したい

オーロラの彼方へ

2000年公開

監督 グレゴリー・ホブリット

脚本 トビー・エメリッヒ

出演 ジェームズ・カヴィーゼル
   デニス・クエイド

ストーリー
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30年ぶりに太陽フレアの影響でニューヨークにオーロラが観測された頃、同棲していた恋人にも愛想を尽かされ完全に無気力とかした刑事ジョン・サリバン。
彼がその時思うのは父フランクのことであった。自らをチーフと呼び可愛がり、倉庫の火事に巻き込まれて死んだ消防士だった父との楽しい思い出。
父がまだ生きていてくれたら…と思いにふける彼はふと父の残したアマチュア無線機をいじってみた。
すると向こうから応答があり、対応していたジョンであったが、よく聞けば何かがおかしい、無線機の番号が同じなら、時代感も互いにどこかずれている。
そして遂にジョンは気づいた。自分が話している相手がかつて死んだ父であることを。無線が30年前の自宅につながっていることを──。
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オーロラの影響で過去と未来が繋がり、声を通して奇跡の交流を行う親子を描いたSFヒューマンサスペンス。実はオーロラがそこまで重要じゃないのはヒミツ

死んだ父との時を越えた交流というコンセプトだけでも十分ヒューマンドラマとして及第点の本作ですが、本作の面白みは何と言っても、SFものでよくタブー扱いされる「パラドックス効果」を何の躊躇もなく使用していく点にあります。

バタフライ・エフェクト」「プライマー」など、時間を移動するSFでは、過去を変えるパラドックスは倫理的、そして物理的に最もマズイ行為であると物語中で危険なものとして扱われる場合が多いのですが、本作では、せっかくここまで会話しておいて「父さん明日死ぬよ」だけで終わるのはどうかということで、何とか父を延命させようと、ジョンは父フランクに死因を伝え、フランクに注意を呼びかけます。

しかし、こうして危機を脱しても、未来を変えた影響で更にまずい事件をもたらすことになったりと、そこは展開として最低限のお約束を見せますが、その後は中々どうして、事件の起きる過去で生の証拠を手に入れ、情報の整理が進んだ現在でそれを元に調査したり、過去の世界で発見した証拠物品をDNA検査の発達した現在に送るために30年置いても動かないところに放置することでクリアしたりと、巧みに状況を利用した打開策を次々と打ち立てていく、痛快なサスペンス要素として、上手く組み入れていきます。これらの要素のおかげで、中盤以降は実質、情報戦の有用性を説いた内容と言っても過言ではなく、ヒューマンとは思えぬ高揚感を促してくれます。

そして焦点をSF要素に向けたおかげで、肝心の「親子愛」もまた、無駄ないがみ合いをつける必要もなく、互いに難関を協力して乗り越えるという、取っ付き易い非常にスマートなものに仕上がっているのも特筆です。

 

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 無線機一つで何でもできる。正に情報化社会の先駆け。

TSUTAYA

マインドファック『パンズ・ラビリンス』

 

パンズ・ラビリンス [Blu-ray]


だから少女は幻想の国で

      永遠の幸せを探した

パンズ・ラビリンス

2006年公開

監督 ギレルモ・デル・トロ

脚本 ギレルモ・デル・トロ

出演 イヴァナ・バケロ
   セルジ・ロペス
   アリアドナ・ヒル
   マリベル・ヴェルドゥ

ストーリー
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スペイン内戦時、妊娠している母親とともに、新しい父親である独裁政権軍の大尉ヴィダルの元へ引き取られた少女オフェリア。
だが、対レジスタンスと生まれてくる我が子以外に興味を示さない冷徹な義父やそれにオドオド従うだけの頼りない母親、唯一話せる家政婦のメルセデスも弟とともにレジスタンスに内通している。
そんな現実から逃避するかのように自然とオフェリアの心はおとぎ話の世界へと引き込まれていく。
そんなある日、オフェリアの前に妖精が現れ、彼女を森の奥の迷宮へと導く。そこには迷宮の番人の「パン」がおり、オフェリアを地底の王国の姫君と呼ぶのだが──。
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恐らく多くの人がパッケージでオズやアリスのような子供向けファンタジーと思い込んだでしょう、ギレルモ・デル・トロ監督のスペイン内戦を舞台とした幻想ダークファンタジー。カンヌ映画祭22分間にわたる拍手を受けた逸話はもはや語り草。

ギレルモ監督といえば最近では『パシフィック・リム』のヒットが記憶に新しいですが、本作はそれでギレルモ監督=特撮系アクション監督という印象を得た純粋なロボットファンのボーイたちがパシフィック・リム』の延長で見ればドン引き間違いなしの徹底した残酷な話になっています。

まず何より「ファンタジー」なのに「現実の存在が大きい」のが残酷。「不思議の国のアリス」は「現実逃避」の話だとテリー・ギリアム監督は『ローズ・イン・タイドランド』で唱えましたが、本作では過酷な現状を変えれると聞き、「不思議の国」を探検するオフェリアの裏で、事あるごとにドロドロと繰り広げられる戦時の「大人たちの人間模様」が顔を出します。オフェリアにとってはその「大人たちの人間模様」こそ最も逃避したい存在であり、変えたい「現状」であるにもかかわらず、常に彼女を巻き込み生々しいやり取りが進展されていく様は、本当にこれは「ファンタジー映画」なのかと疑りを掛けたくなるほどに「現実的」です。

そして肝心のファンタジー描写も、子供の悪夢を大人の悪乗りで過激化したような、生理的にゾッとするような演出が多く、センスの良さと同時に、現実世界以上の恐ろしさを醸し出しています。特に中盤に登場する食児鬼「ペイルマン」は外見のデザインもさることながら、子供を嬉々として食べようとする、ペドフィリアをさらに歪曲したような性質と不気味な動きでトラウマものの存在感をアピールしています。

現実世界では間接的な「残酷」を、ファンタジー世界では直接的な「残酷」を放つ、一度で二度美味しい(?)構成、「ダーク」ファンタジーの何たるかを思い知らされる快作と言えるでしょう。

 

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食児鬼手の目ペイルマン。もはや本作の顔と言っていいでしょう。

TSUTAYA

マインドファック『コンフェッション』

コンフェッション [DVD]

残したものは 視聴率と死体

コンフェッション

2002年公開

監督 ジョージ・クルーニー

脚本 チャーリー・カウフマン

原作 チャック・バリス

出演 サム・ロックウェル
   ドリュー・バリモア

ストーリー
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テレビ局で一発でかい企画を作ろうと必死に模索する臨時職員チャック・バリス。
そんな折、彼のもとにジム・バードと名乗る男が「仕事」を持ち込んでくる。
しかし、食いつなぎ程度の軽い仕事を連想していたのとは裏腹に、ジムの提示したのはCIAのスパイになり要人を暗殺する「裏の仕事」であった…。
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皆さんはチャック・バリスという人物をご存知でしょうか。

60年代以降のテレビ界において『デート・ゲーム』や『ザ・ゴングショー』といった「一般人」を巧みに利用したスタイル、つまりは現代バラエティの基板とも言える番組をを作り上げた偉大なプロデューサーです。

彼がいなければ日本も「TVチャンピオン」の隠れた逸材合戦を拝めることもなければ、「クイズ$ミリオネア」で強運の数々を観れることもなく、「探偵!ナイトスクープ」を毎週金曜の夜更かしの楽しみにすることもできなかったのです。

本作は、そんな彼が書いた自叙伝をおなじみチャーリー・カウフマンが脚本に起こし、当時役者一筋だったジョージ・クルーニーが初めてメガホンを取った、サスペンス式立志伝です。

当時資金がなく監督が降板して企画自体が頓挫しそうなっていたり、でも唯一先に完成していたチャーリー・カウフマンの脚本の出来が役者の分散を防いだり、勢い余ってジョージ・クルーニーが監督役を引き受けそのままデビュー作になっちゃったりと、いくらでも曰くがある作品ですが、本作の一番の衝撃は原作の「自叙伝」にあります。

ストーリーにもある通り、彼は自叙伝でプロデューサーとしての成功の過程と同時に「CIAで暗躍していました」という非常にバラエティ性に富んだ驚きの告発をしています。

しかし飽くまでも書いたのは、あのチャック・バリス。自叙伝とはいえ、展開を盛り上げるために無茶苦茶な脚色をしても何も不思議はない。少なくとも作中でインタビューされる彼の関係者は全員そう証言しています

ですが脚本のチャーリー・カウフマンは、敢えてこの真偽不明な展開を本作のメインに添えました。チャック・バリスという男の異常なまでの発想、行動力、カリスマは暗殺業という異常な経験があってのものだ、という構成はハチャメチャながら、どこか納得してしまうものがあり、このストーリーを選択したジョージ達の判断は正解だったと言えます。

肝心の内容もチャック・バリス性を出してか、暗いストーリーの割に非常にコミカルに演出されています。当時ブレイク前のサム・ロックウェルによる本物直伝の威厳ある陽気さを感じさせるチャック・バリス役や、舞台演出のようにカメラ外でセットを移動させ、長回しのままシーンを変える技法など、他のノンフィクションものでは絶対に味わえない楽しい雰囲気が作られています。

バラエティに命をかけた男のバラエティに富んだ自叙伝によるバラエティのような映画。これで楽しくないはずがありません

 

『ザ・ゴングショー』の実際の映像。司会はもちろんチャック・バリス。

TSUTAYA

 

マインドファック『マシニスト』

 

マシニスト (字幕版)

すでに1年間365日眠っていない

マシニスト

2004年公開

監督 ブラッド・アンダーソン

脚本 スコット・ソーサー

出演 クリスチャン・ベール
   ジェニファー・ジェイソン・リー

 

ストーリー
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機械工のトレバーは原因不明の不眠症であった。それも一日二日の話ではない、365日、一年間まともに寝たことがなかった。
娼婦のスティーヴィーの元に行き、深夜の空港でウェイトレスのマリアと雑談する、そんなささいな楽しみを持つことで彼は辛い毎日を耐え抜いてきた。
そんなある日、溶接工のアイバンに気を取られ、同僚の片腕を切断させるという大惨事を引き起こしてしまう。トレバーは弁解するも、そもそもアイバンという職員はいないと突き返され…。
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不眠に不眠を重ねたの男のボロボロになる心身の果てを描く生理的幻覚サスペンス。

『シャイニング』を代表するような幻覚トリップモノを作る際、重要となるのが「幻覚を見る要因」。ここをしっかり表記せず、「ただなんとなく」と曖昧にしてしまうと、せっかくの幻想的な映像美術も台無しです。その点本作は「不眠」という三大欲求に準ずる、人間に最も身近で共感の持てる要素を持ち出してきます。

本作は主にトレバーが謎の事件に巻き込まれる…という話の建前の元、「不眠」の症状により判断能力の欠如した、いわゆる自暴自棄に陥っていく様を描いています。まともな判断ができないのか、起こる出来事に一々敏感に「これは陰謀だ」と反応して、焦燥に駆られた挙句、墓穴を掘っていく姿は、正に不眠症患者そのものであり、リアリティにあふれています。

そんな「病的の極み」を描いた本作を語るのに欠かせないのが、語り草にもなっているクリスチャン・ベールの鬼の減量劇です。彼は2002年の『リベリオン』の時点のたくましいマッチョメンスタイルから本作の役作りのため30キロ近くの体重を落としました。54キロまでになったその姿はもう骸骨そのもので、当時の芸能メディアの話題(命の危険性的な意味も含め)をさらいました。

しかも当人はこれで結構楽しんでいたらしく、「45キロまで落としたかった」と嬉々として語っていたほどですから、彼もまた役者という意味で「病的の極み」を行く人だったのでしょう。

ちなみに同年、クリスチャンは『ハウルの動く城』のハウル役の吹き替えも演じており、スタジオ入りした際の回りの反応が如何なものだったか気になるところです。

TSUTAYA

 

リベリオン』のクリスチャン。体は健康そのもの。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

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マインドファック『アダプテーション』

アダプテーション [DVD]

困った 書けない

アダプテーション

2002年公開

監督 スパイク・ジョーンズ

脚本 チャーリー・カウフマン
   ドナルド・カウフマン

出演 ニコラス・ケイジ
  ニコラス・ケイジ
   メリル・ストリープ

 

ストーリー
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マルコヴィッチの穴』を手掛け名を馳せた脚本家チャーリー・カウフマン。しかし彼は今悩んでいた。
新たにスーザン・オーリアンの『蘭に魅せられた男 驚くべき蘭コレクターの世界』を元に脚本を書く脚色の仕事が来たはいいが、その内容はとても映画向きとは言いがたく、どうしていいか途方に暮れていたのだ。
徐々にスランプに陥っていくにつれ実生活にも支障をきたす様になり、いよいよこれではだめだと弟のドナルド・カウフマン共に行動を起こすが…。
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マルコヴィッチの穴』を手掛けたチャーリー・カウフマンを通して、脚本家における「産みの苦しみ」を描いたメタフィクションストーリー。
脚本家の苦労をテーマに、既存の作品の制作秘話を話に盛り込んだ映画は『バートン・フィンク』『ネバーランド』を始め、いくつかありましたが、本作はそれらとは似てあまりにも非なるものであると言えます。
というのも、作中でチャーリー・カウフマンが手掛ける脚本は、過去の作品のものではなく、今上映している本作そのものの原稿であるからです。つまり本作の内容=本作の制作秘話という、どこからそんな発想が来るんだといいたくなるほどに革新的で哲学的な試みを施した構成になっているのです。
観客からしてみれば、今自分は「上映している映画」の「製作過程」を見せられているわけであって、でもその「製作過程」そのものが「上映している映画」なのであって、しかしその「上映している映画」がなければ「製作過程」はないのであって…、と鶏が先か卵が先かの問を彷彿する非情にややこしい思いをするわけですが、そこに追い打ちを掛けるようにダブルニコラス・ケイジの存在がでてきます。

本作ではニコラス・ケイジ演じるチャーリー・カウフマンの他に架空の双子の弟でドナルド・カウフマンなる人物が登場します。が驚くことに、この弟もニコラス・ケイジ当人(一部シーンは弟のマーク·コッポラ氏)が演じ、ニコラス・ケイジニコラス・ケイジとぼやきあうという異空間が形成されます。スタッフロールでもそれぞれ別々に名前が表記され、ニコラス・ケイジの名前の後にまたニコラス・ケイジが続くという、声優の使い回しをするアニメのクレジットの様な光景も拝めます。
尚このドナルド・カウフマンは、キチンと実在の人物としてもクレジットされており、脚本の項目に名前がしっかりと記載されていますが、チャーリー・カウフマンとしてはよほど思い入れがあるがキャラクターなのでしょう、作中の役割からしてもその点が伺えます。
マルコヴィッチの穴』で感じたものは気のせいではなかった! やはりチャーリー・カウフマンは奇才だ、天才じゃなくて奇才なんだと再確認させられる内容で、オススメです。

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